新型コロナ感染症の時代、超少子高齢・人口減少社会の
医療ニーズに適した医師養成教育はいかにあるべきか

では、わが国の卒前医学教育・卒後臨床研修はその医療ニーズに適した医師づくりを行なっているのでしょうか? 答えは残念ながらノーと言わざるを得ません。それでは、わが国の卒前医学教育・医師養成教育はどのような問題を持っているのでしょう、その原因は何なのでしょう、そしてどのように改めて行けば良いのでしょうか。

◇ 欧米先進諸国の卒前医学教育・卒後臨床研修

図6-1 米国におけるGPと専門医の年代別推移

わが国の卒前医学教育・卒後臨床研修は世界先進諸国に比べて50年以上遅れています。2001年から2002年にかけて6カ月間、東京大学医学教育国際協力研究センターの客員教授として招聘された、オレゴン健康科学大学副医学部長(教育担当)ゴードン・ノエル教授は、日本の卒前医学教育の実情を見て“ガラパゴス的進化”を遂げていると表現し、世界先進諸国の卒前医学教育に比べて大変遅れている点を縷縷指摘されました。

米国では 1900年頃は医師と言えば殆どすべての医師がGP(一般医)でした。その後、内科から神経内科が、神経内科から精神科が誕生し、整形外科、泌尿器科、脳外科などの新しい外科系分野が発展し始めました。その後さらに専門分化が急速に進行し1950年代半ばには、GPと専門医の人数がほぼ50%ずつになり、1970年代にはGPが18%、専門医が82%を占めるまでになりました(図6-1)。「専門医を育成しさえすれば医学研究が進展し、医療のレベルが向上する」と考えてどの大学もこぞって専門医養成に力を入れたからです。

しかし、その結果種々の弊害が生じました。その中でも最も大きな弊害は、低所得層の人たちが専門医による高額医療を受けることができなくて、重篤な状態になってから救急外来に駆け込むようになったことです。救急外来は機能麻痺に陥りました。

このことを契機に、1966年に3つの委員会から報告書が出され、新しくfamily physician(家庭医療専門医)を育成することが提案され、最初にKentucky大学で家庭医療学部門が創設されました。その後、家庭医療レジデシー・プログラムは徐々に増加し、1979年には364プログラムが稼働するまでになりました。

米国政府は1970〜1980年以降、これ以上の専門医は要らないとし、GPに変わる医師としてFamily physician(家庭医療専門医)、それ以外に総合内科医、一般小児科医、一般外科医、などのトレーニング・プログラムを発展させることに舵を切りました。特に、家庭医療学教室は大学が新設しなければならないので、政府は多額の補助金を予算化して各大学が家庭医療学教室を創設することを推奨しました。その結果、東海岸の伝統校数大学を除いてほとんどすべての医学校(school of medicine)に家庭医療学教室が誕生し、現在もたくさんのfamily physicianを輩出しています。1980年代後半には、臓器別専門医が多すぎて医療費が高騰したのにGDP(国内総生産)は低下したので、医療費を削減するために臓器別専門医の数を減らし、ジェネラリスト(表3-1:再掲)の数を増やすことにしました。

表3-1 ジェネラリストの種類(再掲)

2016年時点で、ホスピタリスト(病院医療専門医)が約50,000人、総合内科専門医約109,000人、家庭医療専門医約107,000人、これに比べて、循環器内科専門医(内科の中で最も多い臓器別専門医)約22,000人、小児科専門医55,000人、その他、です。如何にジェネラリストが多く臓器別専門医が少ないかが分かります。これらの数字はわが国の状況とは大きく掛け離れた数字です。

さらに2002年、医学校への研究費が大幅に増額されて研究費獲得競争が激しくなり、臨床系の講座では次第に主として研究に従事する教授と、臨床および教育専任の教授とに分かれるようになりました。その結果、医学研究が急激に進歩し、臨床と教育専任の教員による卒前医学教育改革が早いテンポで進み、広範囲の知識と中等度の技能を持つ専門医としてのジェネラリストや、深い知識と高度な技能を持つ臓器別専門医の育成が急激に発展しました。

この潮流は米国のみに限りません。ヨーロッパ諸国やカナダ、オーストラリア、最近では韓国などアジア諸国でも、卒前医学教育・卒後臨床研修の改革が進んでいます。

このような卒前医学教育・卒後臨床研修の改革により、市民は以下のような恩恵を受けています。

  • 多疾患罹患の高齢者でも家族ぐるみのかかりつけ医としての家庭医を持つことができ、安心・安全の医療を受けることができ、生物医学のみでなく、心理的、社会的な側面の問題をも含めた包括的なケアを受けることができます(超高齢社会には不可欠な要素です)
  • ホスピタリストが病院医療の中心となるので、高度な生物医学的治療のみならず、心理的・社会的な側面も含めた全人的な医療を受けることができます
  • 医療面接、身体診察、臨床推論、費用対効果(cost-effectiveness)の教育を受けているので、質が高く、かつ、医療費の節減に配慮した医療を受けることができます
  • 臨床および教育専任の教授が誕生したので、広範囲の知識と中等度の技能を持つ専門医としてのジェネラリストや深い知識と高度な技能を持つ臓器別専門医が多数輩出され、市民は安心・安全の医療を受けることができます
  

◇ わが国の卒前医学教育・卒後臨床研修の現状とその弊害、および改善法

  
  
    わが国の卒前医学教育・卒後臨床研修は生物医学中心の教育を行なって、臓器別専門医を育成することが多くの大学や研修病院で行われているので、臓器別専門医の偏在、医師の地域偏在、ジェネラリストの不足を来しています。その結果、以下の弊害が生じています。
      
  • 集中治療専門医や救命救急専門医が非常に少ない(表3-2)ので、今後も続くであろう新型コロナウィルス感染症や、今後新たに起こりうる新興ウイルス感染症のパンデミックに適切に対処するのが難しい
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  • 多疾患罹患や多剤併用の患者さんが増加している超高齢社会、そして 2040 年頃の多元的社会の医療・介護の時代に不可欠な家庭医療専門医やホスピタリストが大幅に不足しているので、超高齢社会および多元的社会のニーズにより効果的・効率的に対応することが困難である。そのために一人の患者が多数の医師に診てもらうことが多くなり、医療費の高騰を招いている
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  • 生物医学中心の臓器別専門医育成がいまだに続いているので、ジェネラリストが極端に少ない。その結果、全人的医療(身体面のみでなく心理面・社会面の情報を踏まえて行う医療)ができ難いので、生物医学的な検査を多用する、生活習慣病に対して食習慣などの行動変容を促す指導があまり行われない(コラム6-1)。それらのことが医療費の高騰に繋がっている
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<コラム6-1>

       
  

ここに示したことからわかるように、全人的医療や生活習慣病の行動変容を促す診療が行われない理由は、卒前医学教育・卒後臨床研修の問題のみでなく、診療報酬体系の問題もあるのです。
これらの卒前医学教育・卒後臨床研修の問題点は、医学部・医科大学における卒前医学教育から初期研修、そして専門医研修までの全ての過程において、また、すべての市中病院の卒後臨床研修において存在します。

  
  
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