わが国の卒前医学教育・卒後臨床研修は世界先進諸国に比べて50年以上遅れています。2001年から2002年にかけて6カ月間、東京大学医学教育国際協力研究センターの客員教授として招聘された、オレゴン健康科学大学副医学部長(教育担当)ゴードン・ノエル教授は、日本の卒前医学教育の実情を見て“ガラパゴス的進化”を遂げていると表現し、世界先進諸国の卒前医学教育に比べて大変遅れている点を縷縷指摘されました。
米国では 1900年頃は医師と言えば殆どすべての医師がGP(一般医)でした。その後、内科から神経内科が、神経内科から精神科が誕生し、整形外科、泌尿器科、脳外科などの新しい外科系分野が発展し始めました。その後さらに専門分化が急速に進行し1950年代半ばには、GPと専門医の人数がほぼ50%ずつになり、1970年代にはGPが18%、専門医が82%を占めるまでになりました(図6-1)。「専門医を育成しさえすれば医学研究が進展し、医療のレベルが向上する」と考えてどの大学もこぞって専門医養成に力を入れたからです。
しかし、その結果種々の弊害が生じました。その中でも最も大きな弊害は、低所得層の人たちが専門医による高額医療を受けることができなくて、重篤な状態になってから救急外来に駆け込むようになったことです。救急外来は機能麻痺に陥りました。
このことを契機に、1966年に3つの委員会から報告書が出され、新しくfamily physician(家庭医療専門医)を育成することが提案され、最初にKentucky大学で家庭医療学部門が創設されました。その後、家庭医療レジデシー・プログラムは徐々に増加し、1979年には364プログラムが稼働するまでになりました。
米国政府は1970〜1980年以降、これ以上の専門医は要らないとし、GPに変わる医師としてFamily physician(家庭医療専門医)、それ以外に総合内科医、一般小児科医、一般外科医、などのトレーニング・プログラムを発展させることに舵を切りました。特に、家庭医療学教室は大学が新設しなければならないので、政府は多額の補助金を予算化して各大学が家庭医療学教室を創設することを推奨しました。その結果、東海岸の伝統校数大学を除いてほとんどすべての医学校(school of medicine)に家庭医療学教室が誕生し、現在もたくさんのfamily physicianを輩出しています。1980年代後半には、臓器別専門医が多すぎて医療費が高騰したのにGDP(国内総生産)は低下したので、医療費を削減するために臓器別専門医の数を減らし、ジェネラリスト(表3-1:再掲)の数を増やすことにしました。