はじめに

これまでわが国の医療は世界に比べても高いレベルにあり、医療制度や医学教育ならびに卒後臨床研修にはあまり大きな問題は無い、と考える向きが多かったのではないでしょうか。しかし、2020 年 1 月から始まった新型コロナウィルス感染症のパンデミックに対して、第 5 波の時には医療崩壊をきたして多くの患者が入院できずに自宅待機を余儀なくされたことは、多くの皆さんの記憶に新しいことと思います。わが国の急性期病床は世界の中でも群を抜いて多い(図 2-2)にもかかわらず、集中治療室が非常に少ないこと、また集中治療専門医や救急医療専門医が非常に少ないこと(表 3-2:再掲)など多くの問題を抱えていることを“医師養成教育--卒後臨床研修”のところで述べました。
第 6 波はオミクロン株による新規感染者数が全国で最大 10 万人を超えました。2022 年 7 月中旬から新規感染者が増加して第 7 波の感染拡大が起こり、全国で約 26 万人となり当時の世界で最多の新規感染者が出ました。病床利用率は 60〜80%、100%に達した県もあました。このため、救急車が入院先を探すのに最大 5 時間を要する事案も多数発生しました。発熱外来はパンク状態で、発症即日には診てもらえない患者が続出しました。そして、自宅療養者は保健所や医師からの健康観察を全く受けることのできない人が多数に上りました。
医療の問題はそれだけに留まりません。世界でもトップレベルの超高齢社会を迎えているわが国の医療体制は、社会の医療ニーズや介護ニーズに対応できる体制の構築が欧米先進諸国に比べて非常に遅れています。そのために、多数の疾患を抱えている高齢者は多くの医療施設を受診しなければならず、重複検査や重複投薬を余儀なくされ、薬剤による有害事象に悩まされる人が増加し、医療費の高騰をもたらしています。また、地域包括ケアシステムの中で社会的処方のできるプライマリ・ケア医が非常に少ないために、健康長寿を享受できずに要介護度が年々進む人や新たに要介護になる人が増え、介護費用の高騰をもたらしています。
医療崩壊の問題や高齢者医療・介護の問題の根本的な原因は、実は主としてわが国の卒前医学教育および卒後臨床研修、そして医療提供体制の問題にあるのです。わが国の医学教育は欧米先進諸国に比べて大変遅れており、米国に比べると約 50 年の遅れをきたしています(オレゴン健康科学大学 ノエル教授)。
そこで、医学教育がどのように遅れているのか、そしてその遅れを取り戻すためにはどうすれば良いのかについて“医師養成教育”の項で述べていますが、ここでは更に詳しく米国の医学教育はどのように行われているのかについて、日本の現状と比較しながら述べたいと思います。米国の医学教育は近年では世界のトップとされているからです。その次は英国です。英国が EU に加盟していたときは、ヨーロッパ医学教育学会を通じて EU 全体の医学教育をレベルアップすることに貢献してきました。筆者もヨーロッパ医学教育学会に 3 回参加して大いに啓発されました。

米国と日本の医学教育の比較(概略)

1) 米国の卒前医学教育

米国の医学教育は、4 年制大学を卒業した後に大学院大学としての医学校(medical school)に入学し、4 年間の卒前医学教育を受ける仕組みになっています。受験生は文系、理系を問わず、また一度働いた人でも受験することができます。但し、一定の受験資格を取得することが前提です。
医学校のカリキュラムはほぼ 3 年ごとに大幅な改革が行われており、最近は一般的には、1 年目から 2 年目にかけて基礎医学と臨床医学を関連付けて学修します。また、倫理学、行動科学、集団健康科学(Population Science)やプロフェッショナリズム(専門職意識)なども学ぶ仕組みになっています。これらは case-based(事例立脚型)で PBL-チュートリアルと Team-based learning 方式を併用し、小グループ討論などを通して問題解決型学修を行います。
また、1 年目の 1 ヶ月目に白衣式をして、その後約 1 年間、医療面接、身体診察、臨床推論、コミュニケーション、根拠に基づく医療などの基本的臨床技能の教育が始まり、その後、病棟で実際の患者を相手に経験を積みます。
3 年目および 4 年目は病棟で student doctor(学生医師)として診療チームの一員になり、日々の診療において一定の役割を担いながら臨床実習を行ないます。この 2 年間の臨床実習を体験し、卒業後は初日から医師として診療チームに加わり、学生を指導できる程の臨床能力を獲得しなければなりません。
先進的医学教育をしている大学では、数年前からは最初の 1 年半で基礎医学、社会医学、行動科学などと臨床医学を症例ベースで学修し、そして、同時に基本的臨床技能を修得し、2 年目の後半から必須科の臨床実習を 1 年間行うように進化してきました。3 年目の 10 月から 4 年目は、選択科で臨床実習をしながら、同時に高度な基礎医学や社会科学の学修を臨床実習と結びつけて学ぶ仕組みになってきています(水平統合および垂直統合)。
国家試験は、基礎医学などの学修が終了した時点で、第 3 者機関が実施する USMLE Step 1 を全米 5 カ所のうち最寄りの試験場に出向いてテスト(CBT: computer based test)を受けます。次に、卒業までに USMLE Step 2 CK(症例に基づく問題に答える形式)を Step 1 と同様に最寄りの試験場に出向いて受け、また、大学が行う Comprehensive OSCE(臨床実習後客観的臨床能力試験)を受験して合格しなければなりません。コロナウイルス感染症のパンデミックが発生する前までは、卒業までに USMLE Step 2 CS(国家試験としての客観的臨床能力試験)を受験して合格しなければ、卒業できない仕組みになっていました。

図6-3 医学教育の日米比較(再掲)

<日本の場合>

わが国の場合は、高校 3 年間で理系コースを選択して優秀な成績を修めた人が医学部・医科大学を受験します。もちろん、一旦働いた後に受験することも可能ですが、理系科目の学習をする必要があります。この傾向は国公立大学において顕著です。
医学部・医科大学の最初の 1 年間は、リベラルアーツ(教養教育)も学びます。その後、講義中心の生物医学(解剖学、生理学、生化学、病理学、臨床検査学、内科学・外科学・小児科学などの臨床科学)の授業を学科毎に積み上げ式に受け、他に衛生学・公衆衛生学の授業も受けます。徐々に Case basedlearning による能動的学習が導入されてきていますが、まだ多くの大学は講義中心で、一部に Casebased learning を導入しているようです。4 年生の 2 学期には、基礎知識などを評価する共用試験CBT(computer based test)を受け、基本的臨床技能の教育を受けて共用試験である Pre-CCOSCE(臨床実習前の客観的臨床能力試験)を受けます。基本的臨床技能教育は長期間行う大学もありますが、大半の大学は短期間しか行わずに OSCE を実施するようです。合格した学生は、4 年生の 1 月から臨床実習に進みます。しかし、ほとんどの大学においては欧米のように診療チームに組み込まれて一定の役割を担うことはなく、見学中心、あるいは模擬診療型の臨床実習を約 72 週間受けます。そして、共用試験である Post-CC OSCE(臨床実習修了後客観的臨床能力試験)を受けます。その後 6年生の最後に概ね 6〜9 カ月間は臨床実習をすることもなく医師国家試験対策の勉強を行って卒業します。そして、医師国家試験に合格すれば医師の資格を得ることができます。
この結果、大半の医学生は卒業時点ではあまり医療を行うことができません。これは米国や医学教育先進諸国との大きな違いです。わが国は非効率的な卒前医学教育をしていると言っても過言ではないでしょう。
この原因の 1 つには、共用試験である Pre-CC OSCE(臨床実習前の客観的臨床能力試験)と Post-CC OSCE(臨床実習修了後客観的臨床能力試験)が、共に米国に比べて課題数が少なすぎることと、試験が米国のように第 3 者機関ではなく各大学で、その大学中心の評価者によって実施されることにあると考えられます。その証拠に、筆者の属する施設にやってくる医学生の総合臨床実習や、研修医の地域医療研修では、医療面接、身体診察や臨床推論が十分にはできない学生や研修医がたくさんいます。

2) 卒後臨床研修(概略)

米国のレジデント研修(卒業直後からの研修)は 3 年間ですが、出身大学で受ける人は非常に少なく、多くの人が他大学病院やその他の大病院で受けます。レジデント研修でいきなり臓器別専門科の研修を受けることはできず、基本科としての総合内科、一般小児科あるいは一般外科などを 3 年間研修し、その後 3 年間のフェローシップ研修(専門医研修)をするのが一般的です。ほとんどの科は 1 年間の総合内科(病院医療科)研修の後に臓器別専門科を 2 年間研修します。1 年間の総合内科(病院医療科)研修の後に医師国家試験である USMLE Step 3(一人で外来診療を行う能力を測るシミュレーション試験)を受験します。この資格がないと一人で外来診療を行うことができないからです。その後フェローシップ研修(臓器別専門研修)を受けます。しかし、米国はジェネラリスト育成に重点を置いているので、臓器別専門医になる人は人数が非常に制限されています。最近は、医学の超専門分化が目覚ましく、アドバンスト・フェローシップ研修を 2〜3 年間受けて超専門家(スーパースペシャリスト)になることができます。例えば、循環器内科では不整脈、カテーテル治療、心臓画像診断などのスーパースペシャリストが育成されます(図 6-3 再掲)。

<日本の場合>

わが国の場合は、医学部・医科大学を卒業した後は 2 年間の初期研修を受けなければなりません。ここで初めて病棟に入院中の患者さんを受け持って臨床研修を行います。2020 年からは、内科(24週以上)、 救急医療(12 週以上)、地域医療(4 週以上)、外科(4 週以上)、小児科(4 週以上)、産婦人科(4 週以上)、精神科(4 週以上)の 7 科が必須科になっています。しかし、米国のような大所帯の総合内科(病院医療専門科)や一般外科はないので、内科の臓器別専門科や外科の臓器別専門科をローテーション研修し、そしてその他の必須科の研修を行います(米国の医学校 3〜4 年生の診療参加型臨床実習に類似)。その後に専門医研修を受けます(図 6-3:再掲)。
2016 年に日本専門医機構ができてからは、学会ごとに行われていた専門医制度を廃止して、日本専門医機構が統一して専門医制度を管理することになり、初期研修修了者が専攻医として専門研修を受けることが可能になりました。その基本領域として、内科、外科、小児科、整形外科、産婦人科、皮膚科、眼科、総合診療科など 19 科が指定されています。専門研修修了後にサブスペシャルティーとして臓器別専門医を育成する計画を立てていますが、図 6-3(再掲)に示すように専門医機構と各学会との間に考え方の隔たりがあり現在調整中です。
図 6-3(再掲)からも分かるように、わが国の超専門医や臓器別専門医は米国に比べて十分な専門的知識や技能をもたないまま臓器別専門医や超専門医になる危険性があります。

※ 以上が米国の卒前医学教育と卒後臨床研修の概略です。
次の「卒前医学教育」と「卒後臨床研修」では、それぞれ米国の最新の卒前医学教育と卒後臨床研修とについて詳述し、わが国の現状と対比しながら、わが国の医学教育は抜本的改革を図ることが喫緊の課題であることを述べます。ご一読いただければ幸いです。