米国の卒前医学教育

1. 入学者選抜

「知識と臨床技能を除くと、良き医師に大事な特性の多くは教えることが難しい。良き医師の特性はもっと早い時期、すなわち医学校入学前に、しばしば家庭で、ときに学校やスポーツなどの団体活動の中で学ばれるものである。これらの特性を学校で教えようとするよりは、医学校入学志望者の中からこのような特性を持つ者を調べて選抜するほうがずっと簡単で、ずっと効果的でもある。これらの特性にはヒューマニズム、奉仕についての使命感、学修意欲、人間的コミュニケーション技能、他の人々と協力して働く能力(しばしはカレジアリティーと呼ばれる)が含まれる。
米国での入学者選考基準は4年制大学での成績やその平均得点、MCAT(medical college admissiontest:医科大学共通入学試験)の成績を最重要視することから、次第に医師として望ましい幅広い特性を考慮するように移行しつつある。医学校は社会や患者に対して思いやりがあり、使命感があり、倫理的で、自分・同僚・患者の教育に使命感を持つ医師を選び育てる責任がある。」と、オレゴン健康科学大学のノエル教授は述べています(2002 年)
MCAT とは AAMC(Association of American Medical Colleges: 米国医科大学協会)によって開発および管理されており、医学学修の前提条件となる自然科学(生物学、化学、物理学、数学)、行動科学や社会科学の概念と原理を理解しているかを問う試験であり、また、受験生の問題解決力、批判的思考力を評価するのに役立つ、標準化された多肢選択式の試験です(コラム 8-1)。

<コラム 8-1>

米国の入学者選抜基準は、医学校によって少しずつ異なるものの、いわゆるペーパーテストによる学力試験を各大学で行う事は少なく、MCAT や卒業した大学の成績、あるいはコミュニケーション技能やチームワーク技能を重視します。例えば、ジョンス・ホプキンス大学の例を取り上げると、以下の基準によって合格者を選考します。

<コラム 8-2>

このように米国においては、科学の知識や技能に秀でるのみでなく、ヒューマニズム(人道、博愛主義)、奉仕についての使命感、学修意欲、コミュニケーション技能、他の人々と協力して働く能力、などの特性を持つ受験生を選抜します。このことは研究部門でトップクラスにランキングされる医学校においても変わりはありません。ジョンス・ホプキンス大学は、2019〜2021 年の医学校の研究部門ランキングで、ハーバード大学に次いで 2 番目にランクされた医学校です。
自然科学の学力以外に行動科学、社会科学の学力と、人間性、コミュニケーション技能、他の人との協調性などを兼ね備えた人を選抜するので、理系のみならず文系の受験生も多数合格できます(コラム 8-2)。文系の 4 年生大学出身者は全人的医療の必要な精神科医や家庭医になることが多いと言われています。

<日本の場合>
わが国の場合は、ほとんどの国公立大学のアドミッションポリシーは京都大学(コラム 8-3)と同じように、自然科学の基礎学力に秀でていて、高い倫理性と豊かな人間性を備え、他者との協調性を持っている人を選抜することを謳っています。そして、大学入学共通テスト以外に個別学力試験を課し、その上で面接試験を行います。大学によっては高等学校での取り組みや医学研究に対する考えに関する報告書、および口頭試問を課すところもあります。しかし、多くの大学では面接試験によって人間性、コミュニケーション能力や倫理性などを評価しようと考えています。
ところが、面接試験でコミュニケーション能力や協調性を見抜くのは至難の業であり、実際に入学してくる 100 名前後の医学生の中には、コミュニケーションが苦手あるいは取れない、協調性がない・チームでの作業ができないなどの学生が数人混じっていることが度々あります。一方で、自然科学の学力テストでは、大学入学共通テストと個別学力試験の合計点が、例えば 800 点満点で 1、2 点差によって及落が決まり、数十名の学生が涙を流すことになる現実があります。1、2 点差ではほとんど学力の差はないと言っても過言ではないので、もっと人間性、コミュニケーション能力や他の人との協調制を評価できる入試方法を導入するべきではないかと考えます。多様性を許容する社会になり、そして超少子高齢・人口減少社会を迎えて多元的社会に急速に突き進んでいる 21 世紀は、全人的医療が不可欠であり、人間性やコミュニケーション能力、チーム医療ができる能力が非常に重要だからです。

<コラム 8-3>

米国では、MCAT の点数や自然科学の知識のみではなく、行動科学や社会科学の素養も問われ、そして、提出書類の中に人とのコミュニケーション技能やチームワーク技能を備えていることを示さなければなりません。そのためには受験勉強一色ではなく、学校や地域でのスポーツ活動や地域でのボランティア活動などもしておかなければなりません。その中でコミュニケーション技能やチームワーク技能が培われると考えられているからです。

 

2. 卒前医学教育(ハーバード大学を中心として)

米国の医学教育は世界一だと言われていますが、その中でも米国の Best Medical School(研究)ランキングで毎年トップを走るハーバード大学はとても優れています。米国では、LCME(Liaison Committee on Medical Education: 医学教育連絡協議会)が 3 年毎に各大学の医学教育について視察を行い、また、毎年ランキングが発表されますので、多くの大学は数年ごとにカリキュラムの改革を行っています。
ハーバード大学では以下の 3 つのコースが提供されています。

ここからは、多くの学生が学ぶ 4 年制の Pathways カリキュラムについて詳しく紹介しましょう。

◇ Pathways カリキュラム(4 年制)

従来からの医師養成のためのカリキュラムです。2021〜2022 版を以下に示します(図 8-1)。
[https://meded.hms.harvard.edu/pathways]

図 8-1 ハーバード大学医学部 Pathways カリキュラム

1) 医学教育改革の原理と哲学

ハーバード大学は、カナダの McMaster 大学が開発した PBL-チュートリアル教育を参考にして、1985 年から New Pathway プログラムを開始し、その教育法を基礎医学及び臨床系医学の教育に全面的に採り入れ、世界の注目を集めました。これは現在では全米や西欧先進諸国のみならず、全世界的に普及している教育法です。
米国では、1910 年の Flexner 報告で医学教育改革の必要性が公表され、その後急激に医学教育改革が進みました。そして、2010 年に Carnegie 報告が出され、以下のことが強調されました。
① 社会のニーズと公衆衛生に忠実に適合させ
② 急速に進歩する生物医学の知識と現代の認知科学の進歩に合わせ
③ 医療提供体制の変化に適合させて医学教育を改善していくべきであること
(註: 認知科学とは、人間の認知について、神経科学、言語学、心理学、人類学など学際的なアプローチで考察する科学です。神経科学と比較されることが多いですが、生物学的な脳のプロセスに焦点を当てている神経科学に対し、認知科学はアウトプットである実際の行動についてより深く考察します。)
これまでのヘルスケアにおけるいろいろなテーマを主張する人たちは、新しい内容を医学教育に盛り込むことを好む傾向にあります。したがって、従来の Pedagogy(子ども教育学)では、教員はまず“学生は何を学ぶべきかを考え、そして次に何を教えるべきか“と考えるので、学習項目を増やそうとします。しかし、新しい Andragogy(成人教育学)では、“学生は何をどのように学ぶべきか”を考え、必ずしも学習項目を増やそうとはしません。
ハーバード大学は Carnegie 報告に刺激されたことと、実際に PBL-チュートリアル教育において学生の準備が徐々に不十分になってきたために、グループ討論が枝葉末節にとらわれて十分な学修効果を上げることができないグループが出現するようになりました。その結果、グループ間の学修経験に大きな差が生じるようになったのです。このことを踏まえて、2011 年に認知科学から得られた科学的根拠に基づいて、現代の医学生に適した新しい教育方法を探求する必要性が認識されるに至りました。
そこで、クラスルームでの学修方法に関する特別検討委員会が設立されました。この委員会には少数の学生も含まれています。検討の結果、認知科学から得られた科学的根拠を基にして、2015 年からの開始を目指してカリキュラム改革を計画することになりました。改革の目的は教育文化の改変であり、以下のように改革することが決定されました。

  • 学生が情報を主として受動的に受け取るのではなく、革新的で高度に対話的であり、科学的根拠に基づいたクラスルームでの経験が出来るように改変すること

  • 修得する概念を強固なものとするために、問題解決に焦点を当てることによって、個人としての、またチームとしての学修に対する期待と責任を持つことができるようにすること

  • 分断された学科中心の教育を改め、学修者の発達段階に適合した、高度に統合され効率よく調整された協同的学修に改変すること

(註 : 特別検討委員会の教員の構成は、Hundert 副医学部長(教育担当)を含めて 17 名の教員です。内科医 9 名、神経内科医 1 名、小児科医 1 名、産婦人科医 2 名、救急医 1 名、基礎医学 2 名)
討論を重ねた末に、従来からの case-based learning(ケース基盤型学修)と PBL-チュートリアル(問題解決型学修)に加えて、新たに team-based learning(チーム基盤型学修)の要素を加味した、CBCL-チュートリアル (case-based collaborative learning: ケース基盤型協同学修)を 2015年から導入しました。この学修方法の導入に先立つ 2013 年にはランダム化比較試験を行い、CBCL-チュートリアル教育と、従来からの PBL-チュートリアル教育を比較しました。その結果、両群の平均点以下の学生の平均点は CBCL-チュートリアル教育を受けた学生の方が、従来の PBL-チュートリアル教育を受けた学生のそれより有意に高い結果を得ました。結論として言えることは、CBCL-チュートリアル教育は成績の低い学生の成績を底上げできる教育方法であることが証明されたことになります。
この結果を踏まえて、臨床実習前カリキュラムの再設計のための特別委員会を設立し、新しいカリキュラムを検討しました。そして新カリキュラムは以下の 4 つの原則に基づいて構築されました。

  • 批判的思考力を強化する。そのために発達段階に応じてふさわしい教育内容を準備する

  • 各コースを水平統合し、カリキュラムの発達段階に応じた垂直統合を行う

  • 学習者を引きつけ、好奇心を育み、そして、学修するのは学生自身であり自らがその責任を負うべきであることを強調する

  • 学生が職業人として患者にひたむきにケアを提供し、そして、生涯にわたって Self-directed Learning(自己決定学習)を実行するように支援する

2) Pathways カリキュラムの教育内容

(1) 臨床実習前 14 ヶ月間のカリキュラム

従来の学科ごとのコース(例えば、解剖学、生化学、生理学など)を廃して、臨床実習を行うための基礎となる知識や技能を有機的に統合(水平統合)して、小グループ学修を中心とする CBCL-チュートリアル方式によって学修するカリキュラムに改革しました。

A. 基礎医学と臨床医学の学修

臨床医になるために必要なコアとなる基礎医学と、臨床実習を開始するのに必要なコアとなる臨床医学を水平統合して、有機的に関連づけて基礎医学と臨床医学を学ぶことができるように大幅な改革をしています。

  • a)

    Foundations(基礎) 12 週間
    基礎を構成する一連のコースは、3 つの分野固有のテーマに整理されています。① 分子、生物、および遺伝医学の基礎(細胞生物学、生化学、遺伝学、および薬理学)、② 人体の構造と機能(解剖学、組織学、発生生物学)、③ 防御と疾患のメカニズム(病理学、免疫学、微生物学)。
    学修内容は各分野の主要な原則を強調するように選択されていますが、学生が分野間の概念的な関連を理解するのに役立つように、ほとんどのトピックスは統合されて教育されます。例えば、細胞シグナル伝達は、シグナル伝達経路が突然変異や病気によってどのように混乱するか、そして薬物がシグナル伝達経路に介入するためにどのように使用されるか、という文脈で教材が準備されています。

  • b)

    IDD(Immunity in Defense and Disease) : (防御と疾患における免疫) 4 週間
    このコースは、皮膚、関節、筋肉、血管の一般的に遭遇する、および/または、非常に教訓的な疾患、これらの組織が関与する全身性疾患、および自己免疫疾患とアレルギー性疾患のメカニズムと症状に焦点を当てています。IDD の統合テーマは、自己免疫性疾患やアレルギー性疾患を引き起こす調節不全または不適切に標的化された免疫応答に焦点を当てた、疾患の免疫/炎症メカニズムです。

  • c)

    Homeostasis I(ホメオスタシス I ) 9 週間
    ホメオスタシス I は、ありふれた呼吸器、心臓・血管、および血液疾患の正常生理学と病態生理学の根底にある重要な概念に焦点を当てています。このコースでは、あまり一般的ではない関連する状態を理解するための基礎を形成するために役立つ原理にも焦点を当てます。中心的なテーマは、ガス交換、酸素供給と利用、および血液成分の役割を介した有酸素代謝です。

  • d)

    Homeostasis II (ホメオスタシス II ) 10 週間
    腎臓、胃腸、内分泌、および生殖内分泌系の正常な生理学における重要な概念に焦点を当てています。そして、患者によく見られる障害を探索し、学生が他の障害に遭遇したときにも、それらの問題を理解するために必要な基礎知識を得ることができるように、十分な基礎知識を提供します。

  • e)

    MBB (Mind, Brain and Behavior) : (心・脳と行動) 5 週間
    この学際的コースは、基本的な神経科学、神経解剖学、および神経生理学から神経疾患へ、そして、その診断および精神病理に至るまでの臨床的相関に関連するテーマに焦点を当てています。
    学習項目は、神経病理学と神経画像を組み合わせて神経学的問題の局在を明らかにすること、分析的思考を行うための原則を理解すること、そして、そのために臨床像全体を見ることを強調しています。
    精神医学の教育は、機能不全や障害への生物学的、心理的、社会的関与に焦点を当てるのと同様に、個人の病体験にも焦点を当てる患者中心のアプローチを強調しています。CBCL セッションと精神医学的臨床スキルの教育は、施設訪問のときの実習において、学生が複数の関連臨床施設の教員の監督のもとで、精神医学的面接を実践することによって強化されます。

  • f)

    Transition to PCE(必須科での臨床経験への移行) 7 週間
    必須科での臨床経験への移行とは、教室から職場ベースの専門家集団の中で学修する環境への移行を意味します。このコースでは、1 年目に学んだ資料を統合し、その基盤の上に批判的思考、チームワーク、医学的知識、臨床スキルなど、診療参加型臨床実習で成功するために必要な知識、スキル、行動を開発します。
    社会的テーマは、医学における構造的人種差別、健康の公平性と格差、女性の健康、ジェンダーと性的マイノリティの健康、高齢者ケア、専門職間の教育などの分野で 1 年目に構築されたものをさらに深く探求します。
    シミュレーションの授業では、学生が知識とスキルを強化し、PCE(必須科での臨床経験)の土台を築く機会を提供します。

B. 医師になるためのプロフェッショナリズム(職業意識)教育と基本的臨床技能教育

米国のほとんどの医学部(Medical School)は、入学してオリエンテーションが済むと約 1 週間後には白衣式(white coat ceremony)を行い、医師になる自覚を高めます。そして、その後 4 年間を通して医師としてのプロフェッショナリズム(職業意識)の教育に時間を割きます。とともに、入学一ヶ月を経た頃から、医療面接や身体診察技能などの基本的臨床技能教育を週に1日、約 1 年間行います。

  • a)

    ITP (Introduction to the Profession) : (医療の専門職入門) 1 週間
    専門職としての医師について色々な角度から概観できるように設計されています。学生から臨床トレーニングを受ける学生医師(student doctor)、およびレジデントに移行するときに課せられる知的、道徳的そして倫理的に期待されることのいくつかも紹介されます。クラスメートに会い、そして、ボストン市内を見学する時間も準備されています。

  • b)

    PDW(Professional Development Week) : (医療の専門職について学ぶ) 1 週間
    PDW I は入学後 1 ヶ月以内に、そして、PDW II は 1 年目の 2 月の最初に 1 週間ずつ行われ、広い意味での専門職意識を培うことができるように計画されます。省察、自己評価から、フィードバック、アドバイスと計画、学修の統合と評価まで、幅広い意味での専門能力開発を網羅するように設計されています。
    学生は小グループごとのワークショップや大グループセッションを経験するだけでなく、OSCE(客観的臨床能力試験)を通じて標準模擬患者(Standardized Patient)とも出逢います。PDW II では前のコースの資料を持参して基礎科学と社会科学を臨床技能に関連づけて学びます。PDW の最終目標は、知識と技能を強化して適応し、そのための時間と場所を提供し、そして、個人的興味やプロとしての興味を探求する機会を提供することです。

  • c)

    Essentials of the Profession : (専門職としての医師に必須の事項) 4 週間
    このコースは、医学と歯科学の実践に関連する社会科学と population science(集団健康科学)をまとめたものです。それは臨床疫学、population health(集団の健康)、医療政策、社会医学、および医療倫理とプロフェッショナリズム(職業意識)の主要な概念と方法をカバーし、かつ統合したコースです。

  • d)

    Practice of Medicine(POM): (医療の練習) 1 年目の 9 月〜2 年目の 7 月末まで、1 日/週
    医療の練習は、医学部 1 年生の間の基礎的なコミュニケーション、身体診察、および臨床推論スキルの教育を統合する毎週の縦断コースです。このコースは、学生が 2 年生の 10 月から始まるクリニカル・クラークシップ(診療参加型臨床実習)に備えて、同時期に配列されている基礎となる基礎科学および社会科学に完全に統合されるように設計されています。
    134 名の学生は、最初の 2 週間は、基本的臨床技能の仕方を動画で観て、学生同士で練習し、その後は、Massachusetts General Hospital(MGH)など 5 関連病院のいずれかの病院に配属されて POM コースを受けます。それぞれの病院に配属された学生は、そのまま同じ病院で 2年生の 10 月から始まるクリニカル・クラークシップの実習を受けます。教育の継続性を促進し、指導医との良好な関係を築いてメンターシップ(指導体制)を確立するためです。
    POM では、① 医療面接とコミュニケーションの技能、② 身体診察、臨床推論と診断のスキル、③ 外来治療と専門職間の教育、④ 専門家の育成と振り返り、に焦点を当てた多面的なアプローチで、学生が臨床医学を学ぶ機会を提供します。
    それぞれの病院の中心となる教育担当の優れた教員に導かれ、各学生は、午前中は病棟で午後は外来で交互に実習を行います。病棟での時間は基礎的なコミュニケーションと身体診察による診断スキルを学びます。また、学生はプライマリ・ケアのクリニックに配属されて外来診療における臨床の基本を学び、そして、多職種からなるチームの中で活動し、医療関連職種の人たちの役割と責任を学びます。文化的背景が異なり、そして、英語が不得意な患者などの高齢医学、小児科学、分娩ケアに関する特別のセッションも提供されます。
    この POM の最終目標は、基礎科学、社会科学、Population Science(集団健康科学)、および臨床科学をすべて統合して、将来の幅広い学修の基盤として機能するように、コアとなる臨床教育を提供することです。

(2) PCE(必須科での臨床経験) 2 年目の 10 月から 12 ヶ月間

ハーバード大学でのクリニカル・クラークシップ(診療参加型臨床実習)は、12 ヶ月間の統合されたプログラムであり、医師としての資格認定に不可欠な幅広い分野の医学とその経験に触れるための臨床的基盤作りを提供します。Massachusetts General Hospital などの 5 施設で実習しますが、1 年間は同じ施設で 4〜12 週のローテーション実習を経験します。この期間は、プライマリ・ケアの経験、メンタリング(学生へアドバイスし、相談に乗ること)、学際的な臨床医学の症例検討会、などの縦断的な学祭的カリキュラムによって補完されます。
ローテーション期間は、総合内科(病院医療科)12 週間、一般小児科 6 週間、一般外科 12 週間、産婦人科 6 週間、神経内科 4 週間、精神科 4 週間、放射線科 4 週間、プライマリ・ケアは 9〜12 週間の間に、月に 2、3 日間縦断的に継続診療を行っているプライマリ・ケアの施設で実習します。(註: ハーバード大学には家庭医療科がないので、プライマリ・ケアの実習が少なくなっていますが、米国の 95%以上の大学では家庭医療科があり、4〜8 週間の臨床実習が行われます。)
多くの大学でのクリニカルクラークシップは、3 年目と 4 年目に行われていましたが、最近は、ハーバード大学を始めとする多くの大学で前倒しになっています。実習では診療チームの一員として役割を持つことになります。教員スタッフ 1 名(Teaching Attending Physician)、2 年目以上のレジデント 1 名、1 年目のレジデント(インターン)2 名、Student Doctor (学生医師)として 3〜4 年生が 1 名、2〜3 年生が 1 名で構成されます。
(註: 多くの大学では、1 チームはインターン(レジデント 1 年目)3 名と学生 3 名の実働隊と、それを率いる 2 年目または 3 年目のレジデント 1 名、彼らの教育指導をする教員 2〜4 名で構成されます。)
病院医療科(総合内科)の実習は、2 カ月間の入院医療と 1 ヵ月間の外来医療に分けられます。入院医療では 4 チームが 4 日毎の交代で当直をします。その日の当直チームは、日中および夜間に入院してくる全ての患者の担当医となり、その患者が退院するまで診断・治療に当たります。
PCE(必須科での臨床経験)の学生(student doctor、2 年生または 3 年生)は、インターン(1 年目のレジデント)とともに、チームの患者の何人か(普通は 3〜5 人)を担当します。入院してきた患者に対してインターンの指導のもとで、医療面接と身体診察を行い、臨床推論を行って診断を絞り込み、そして検査計画と治療計画を立てます。難しいケースでは、チームの 2、3 年目のレジデントの指導や attending physician(チームの責任者)の指導を受けます。また、各チームには教授または准教授クラスのベテラン医師が teaching attending physician(教育のための指導医)として一人ずつ付き、週 3 回 1 時間半ほどチームメンバーとミーティングをしてアカデミックな討論を行います。学生(student doctor)は、この時間に多くのことを学ぶことができます。
受け持ち患者のカルテ記入を行い、検査オーダーや治療の指示を出すのはインターンと学生の役割であり、attending physician(チームの責任者)が看護師に直接指示を出してはいけないことになっています。このように医療に大きく関わる学生が医療過誤を起こさないようにするためにインターンの指導を受け、attending physician(チームの責任者)の指導や teaching attending physician(教育のための指導医)の指導を受け、二重、三重のチェック機構が働く仕組みになっているのです。

(3) Advanced Clinical and Science Experience (上級の臨床と科学の経験) 17 ヶ月間

このコースでは、必須科以外の選択臨床科、他の上級の選択臨床科、サブインターンシップ(インターンのもとで医学生 2、3 年目より責任を持って患者の診療を行う)、および研究企画の経験を積みます。

A. 選択臨床科

必須科以外および上級の選択臨床科には、以下のような実に多彩な臨床科があります。
・皮膚科、泌尿器科、泌尿器科サブインターンシップ、高度な耳鼻咽喉科・頭頸部外科、高度な眼科学、家庭医療科(米国内の他の医療機関にて)、臨床麻酔、学際的疼痛医学、
・臨床心臓病学、急性心臓ケア・サブインターンシップ、循環器病サブインターンシップ、臨床感染症、内分泌科、臨床消化器病学、血液学/腫瘍学、腎臓病学、臨床リウマチ学、骨髄移植/血液白血病ユニット、高度な神経学、神経学の高度な研究、臨床情報学、
・集中治療、救急医療、救急超音波、複合整形外科、物理療法とリハビリテーション入門、
・睡眠障害学、救急精神医学、中毒精神医学、児童精神医学、高度な相談-リエゾン精神医学、
・高度な小児科、小児眼科、小児耳鼻咽喉科、小児心血管疾患、小児神経学、小児感染症、新生児医学、小児集中治療、小児救急医学、児童虐待小児科、
・産婦人科腫瘍学、母体胎児医学、家族計画、臨床遺伝学。
・放射線腫瘍学、小児放射線科、診断放射線・超音波、インターベンション放射線学サブインターンシップ、核医学と分子イメージング、
・高度な外科クラークシップ、乳房疾患、心臓血管外科、呼吸器外科、臨床脳神経外科、形成外科、臨床移植、急性期医療手術(様々な外傷など)、

上記以外にもいろいろの高度な医療の経験を選択することができます。それぞれが 4 週間の臨床実習です。中にはサブインターンとしての役割を担わされる科もあります。

B. 必須のサブインターンシップ

必須科での臨床経験を積んだ病院と同じ病院の病院医療科(総合内科)病棟で、1 ヵ月間サブインターンとして臨床実習を行います。サブインターンシップの目標は、学生が患者に優れた医療を提供することを学び続けることです。実習は、学生がスタッフと医療従事者の監督のもとで複雑な医学的問題を抱えている患者を評価し、管理できるように設計されています。
サブインターンの学生は、必須科での臨床経験の時よりも、より独立した方法で患者のケアに対してより直接的な責任を負うことが期待されています。受け持つ患者の大部分は急性疾患であり、入院時の評価とそれ以後のマネージメントを行います。なかには、診断のための検査入院患者もいます。それぞれの患者にはケアを監督する attending physician(指導医)がいます。サブインターンの学生は、患者のケアに関する全ての情報をレジデントや指導医と共有して監督を受けることが期待されています。ありふれた疾患や複雑な医学的問題を抱えている患者を含めて非常に広い範囲の疾患を経験できるので、とても価値ある機会となります。
また、極めて重要なことはサブインターンが将来病院スタッフとして教育の基礎的構成要員となり、効果的な病棟回診を行うことができるようになる準備をすることです。学生は病棟チームに組み込まれ、チームのレジデントの監督のもとで患者の入院から退院までのマネージメントを行います。ベッドサイドの教育によって学生の行う医療面接と身体診察技能を直接観察します。それに加えて、病院スタッフのために企画されるすべてのカンファレンスに出席することによって、教員と会ってサブインターンのための特定のトピックスについての、セミナー形式のカンファレンスにも参加することができます。
フィードバックは、半月目に学生の行動に対する定期フィードバックとして行われます。評価はインターン、レジデントと教員からの情報提供によって行われます。ローテーションの最後の日にはコース責任者と個別に会って、パフォーマンス、達成度、今後の目標について振り返りをしてもらえます。

C. Advanced Integrated Science Course(AISCs): (先端統合科学コース)

このコースは、がんと生物学、再生生物医学、ヒト遺伝学、免疫学、コンピュータが可能にした医療、微生物学及び感染症、神経生物学、トランスレーションナル生物医学的工学、栄養・代謝およびライフスタイル医学、グローバルおよびコミュニティーの健康、健康システム科学、薬とエビデンス、性別と性別に関する情報に基づく医学医療、研究、臨床実践、および集団の健康、の 13 のテーマが準備されています。
学生は 3 年目の 1 月〜3 月と 4 年目の 1 月〜3 月の間に、1 ヵ月間毎に 6 つのテーマを選択して学修します。臨床現場を体験して学修意欲を高め、最先端の医学と生物学の統合科学を学びます。

D. Essentials of the Profession II (職業人としての医師に必須の事項 II)

Essentials I では、1 年生の学生に、臨床疫学、健康政策、医療倫理とプロフェッショナリズム、Population Health(集団健康学)、社会医学の原則を紹介します。また、医学知識について批判的に考える方法と、米国の健康と医療の社会的および政治的背景を理解する方法を学生に教えます。
「Essentials II : 医学のための高度な社会科学および Population Science(集団健康科学)」は、Essentials I の基盤の上に構築され、ハーバード・ビジネス・スクールとの新しいコラボレーションを取り入れ、ヘルスケアの提供とリーダーシップについて話し合います。このコースは、① 分野を超えて統合し、② PCE および PCE 後の臨床経験を組み込み、そして、③ 評価し解決策を作成するように構成されています。
本コースの目的は次の通りです。

  • 様々な情報源からのデータを解釈および批評して、集団の健康問題を調査および改善し、臨床疫学の概念を用いて集団の健康研究を批判的に評価します。

  • 医療と健康の公平性を改善するために、健康と医療に影響する社会的および構造的力の複雑な相互作用を特定します。

  • 私たちの医療システムが機能している医療政策を評価し、またそれが臨床診療にどのように情報を提供し、影響するかを評価します。医療政策の革新と改善の機会を与えるためです。

  • 医療、研究、およびプロフェッショナリズムの根底にある倫理原則について話し合い、評価し、そして、これらの原則を臨床現場の倫理問題に適用します。

  • 価値に基づく医療の主要な信条を医療界に適応、実践そして評価することを学び取り、その方法を用いて批評します。教育は大小のグループで行われます。

3) Pathways カリキュラムにおける評価、試験

Pathways カリキュラムでの評価や試験は、ブロックごとに厳密に行われています。すなわち、形成的評価(中間評価)としては、CBCL-チュートリアルの中で同僚からのフィードバックがかかり、総括評価としてはコンピューターによる、主として深い学修をした上での問題解決能力を問うテストが行われます。
AISCs(先端統合科学)、Essentials of the Profession I、II (職業人としての医師に必須な事項)、non-clinical elective courses(非臨床選択科目)は、十分/不十分で評価されます。
以下には、診療参加型臨床実習(clinical clerkship)の評価、卒業のために必要な Comprehensive OSCE、国家試験としての USMLE Step1、USMLE Step 2-CK、および、USMLE Step 2-CSについて詳しく述べます。

(1) clinical clerkship (診療参加型臨床実習)の評価

A. 必須診療科での診療参加型臨床実習の評価

実習の中間の時点で指導教員によるフィードバックがかけられます。総括評価は satisfactory(十分)/unsatisfactory(不十分)で評価され、その根拠は記述によって示されます。この記述は公式記録の一部になります。
(註: 大学によっては いろいろな評価法が用いられるようです。例えば、ある大学では病院医療科(総合内科) 12 週間の実習のうち 8 週間が過ぎるときに、内科外来を利用して OSCE 形式の試験が行われます。すなわち、① あるステーションでは教授を相手に 10 分間で病歴聴取を行って鑑別診断を挙げさせる、あるいは、② 別のステーションでは胸部 X 線写真が置かれていてその所見を書く、③ 循環器内科の教授のいる診察室で、心臓弁膜症を持つ実際の患者の心臓の診察を行い、その患者の鑑別診断を下す、など様々な課題が出されます。そして、12 週間の実習の最後に USMLE Step 2 CK の模擬国家試験問題を解く試験が行われ、ある一定の点数以上を取ることが要求されます。)

B. サブインターンシップと選択診療科(3 年生 10 月〜4 年生)での評価

病院医療科(総合内科)のサブインターンシップと選択診療科での総括評価は、Honors with distinction(超優秀、Honors(優秀))、Pass(合格)、および、Unsatisfactory(不十分)の 4 段階で評価されます。

(2) 医師国家試験 USMLE Step 1

卒業要件として 3 年生の 12 月末日までにこの試験にパスしておくことが要求されます。基礎医学の試験で、CBT(computer-based test)形式で行われます。表 8-1 に示すように、医学知識基礎 医学の概念を適用、患者ケア: 診断、コミュニケーション・対人スキル、臨床実践を基にした学習法および改善法が出題されます。

(3) comprehensive OSCE(包括的臨床能力試験)

米国の卒前医学教育は卒業時点で、supervisor(監督・指導医)がいれば安全に医療ができることを期待していますので、卒業までに単なる医学知識のみでなく、臨床技能や態度をも含めて医師に仕上がっているかをテストします。したがって、SP (標準模擬患者を)を相手に診察が的確にできるかを評価します。国家試験としては USMLE Step 2 CS (clinical skills)が行われますので、その予行演習を兼ねています。
ハーバード大学の卒業時点の OSCE は、以前は 9 ステーションでやっていたという記述もありますが、最近の状況についての記述を見つけることができませんでした。しかし、USMLE Step 2 CS が 12 ステーションで行われるので、おそらくは 12 ステーション位ではないかと想像します。

(4) 国家試験 USMLE Step 2 CK(clinical knowledge)

学生は卒業の要件として、4年生の12月31日までにこのテストをパスしなければなりません。臨床医学の知識を問う試験ですが、単に知っているだけでなく、問題解決能力があるかをテストするために、CBT 形式を採用して 2〜5 問の連問形式が多く含まれています。

表 8-1 米国の医師国家試験

(5) 国家試験 USMLE Step 2 CS(clinical skills)

この国家試験はスーパーバイザー(supervisor)がいれば、医学知識や臨床技能を用いて的確に診療する能力があるかを問う試験です。卒業すればすぐにインターンとして、主として病棟診療を担当し、3 年生および 4 年生の医学生を指導しなければならないからです。
詳細は表 8 に示していますが、標準模擬患者と医師の 2 人が評価する 12 ステーションでの模擬診療の試験にパスしなければなりません。全国 5 カ所に試験場があります。
しかし、新型コロナウイルス感染症がパンデミックを起こしてからは、試験は行われていません。パンデミックが落ち着けば装い新たに再登場する予定でしたが、Step2 CS は 永久に中止することになりました(2021 年 1 月 26 日)。これに伴って臨床実習の中で臨床スキル(診断とコミニケーション)を評価する責任が各大学に移行します。米国医療免許試験(USMLE)の共同主催者である州医療委員会連盟(FSMV)と国立医療試験審議会(NBME)は、時間をかけて臨床スキルの幅を評価する革新的な方法を開発する予定だそうです。

3. 卒前医学教育改革の背景には教育理論がある

欧米の医学教育先進諸国、特に米国はなぜこれほどまでに医学教育改革を成し遂げ、医学教育の効果を高めることができたのでしょうか。その背景には、教育理論が子ども教育学(pedagogy)から成人教育学(andragogy)へと進化したことがあるからです。

1) 成人教育学(andragogy)とは

西洋では 7 世紀から 12 世紀の間に修道学校において、主として読み書きの技能を教えること(わが国では寺子屋においてやはり読み書きを教えること)から始まりました。この教育法は子ども教育学(pedagogy)と呼ばれ、その意味するところは“子供を教育する技術と科学”です。目標は知識ある人(knowledgeable person)を生み出すことであり、十分な知識を注ぎ込めば、① 良き人間になり、②自分の知識の使い方を知るようになるであろう、と考えられたのです。
12 世紀末に誕生しつつあった大学においても子ども教育学が採用され、19 世紀にかけてこの教育法が補強されていきました。この講義による知識伝達の教育法は、文化的変化のタイムスパンが人間の寿命よりも長い 19 世紀の頃までは妥当であったと考えられます。しながら、18 世紀後半から 19世紀にかけて始まった産業革命によって文明の進歩速度は非常に速くなり、20 世紀には文化的発展の速度は加速されました。そのため、いかなる時点で獲得された知識も数年のうちにはそのほとんどが廃れてしまうようになったのです。
このような状況を踏まえて、20 世紀中頃からは教育を“子どもを対象に物事を教える”、いわゆる知識伝達のプロセスとして定義するのはもはや実用的ではない、それを生涯にわたる絶え間なき探求のプロセスとして理解するべきであり、“成人の学習を支援する教育法”、すなわち自己決定学修法(self-directed learning)を学ぶことが大切だと考えられるようになりました。この教育法を成人教育学と呼ぶようになったのです。
その後、小中学校の教師の多くが、成人教育学の概念を青少年の教育に当てはめる試みを行ったところ、ある状況においては、それが優れた学習を生み出すことを報告するようになりました。現在では、成人教育学の考え方が現実的な場合は、いつでも学修者の年齢に関係なく成人教育学の方法を用いるべきであり、逆もまた然りである、と考えられています。

2) 成人教育学の医学教育への応用

医学教育の領域においても、1979 年カナダの MacMaster 大学は講義を全くしないで小グループで学修を進める問題解決事例中心の PBL-チュートリアル教育を開発し、次いでオランダのMaastricht 大学、米国の New Mexico 大学などが取り入れました。そして、1985 年からハーバード大学が New Pathway カリキュラムとして PBL-チュートリアルを開始しました。講義は最小限に抑え、小グループで学生が協同学修を行い、コアとなる基礎医学と臨床医学を学修し、同時に学修の仕方を学び、3 年生からの臨床実習に備えるカリキュラムです。
このように、医学教育カリキュラムを大改革した理論的根拠は、表 8-2 に示すような成人教育学の理論に則っており、医学生は臨床事例の問題解決に興味を示しやすく、その問題を解決するために自己決定学修(self-directed learning)の意欲を掻き立てられると考えられたからです。その結果、積極的に自己決定学修を行なって、思考力を身につけ、チーム医療に不可欠なコミュニケーション能力を身につける学生が増加しました。

表 8-2 子ども教育学と成人教育学の比較

3) Pathways カリキュラム大改革の背景には、Bloom の教育目標分類がある

図 6-2 E. Dale の学習経験モデル(再掲)

ハーバード大学は 1985 年にスタートした New Pathway カリキュラムでは、それまでの講義中心の教育を改めて、講義を朝 1 時間のみとし、1 年生の基礎医学教育でも 2 年生の臨床医学教育でも、問題解決事例中心の小グループ学修である PBL-チュートリアルを導入しました。それまでも 1 年生から白衣式を挙行し、基本的臨床技能教育を 1 年間行っていましたので、学生の学修意欲はより一層高められました。
2015 年から開始された Pathways カリキュラムは、さらに成人教育学の理論を高度に活用しています。基礎医学は臨床と関連性を持たせてブロックごとに分けて水平統合し、コアとなる部分に興味を持たせて学修意欲をかき立て、新しいCBCL-チュートリアル方式で深く学修できるように仕組んでいます。この時に、討論に加わり自分で調べたことを教える仕組みを PBL-チュートリアルの時よりもより一層確実に実現させることができるので、知識も長く残ることになります。New Pathway カリキュラム以前のように、講義を聞くのみでは 2 週間後には聞いた知識のわずか 20%しか残らないとされています(E. Dale の学習経験モデル-図 6-2:再掲)。
また、1 年目の基礎医学と臨床医学の学修は、必須科の臨床実習(総合内科、一般小児科、産婦人科、一般外科、プライマリ・ケア-家庭医療科、精神科、神経内科、放射線科)に必要なコアの学修に抑え、医師の卵として臨床実習を行うのに必要な Population Health(集団健康科学)やプロフェッショナリズムを学ぶ時間も確保しています。これらは生物医学以外で重要となる、医師には不可欠な知識や態度教育ですが、白衣式も経験し、基本的臨床技能を学び、臨床医学も学修するのと同時期に長期間にわたって、しかも主として小グループ学修方式で行われるので、学生は大変興味を持って修得しようとします。
そして、重要なことは必須科での臨床実習が済んだ 3 年生の 10 月から 4 年生の末にかけては広範囲にわたる上級診療科(眼科、耳鼻科、泌尿器科、学際的疼痛医学、骨髄移植/血液白血病ユニット、睡眠障害学、救急精神医学、中毒精神医学、児童精神医学など)の臨床実習を選択性で行うと同時に、行動の基礎科学を学習し、そして研究期間も 3 カ月間設けられていることです。この仕組みは、垂直統合と言われ、学生が興味を持ち始めたときに高度な基礎科学を学ぶカリキュラムに仕上げられています。垂直統合は、学生の知的欲求が高まったときに学修の意欲も高まるという成人教育学理論を絶妙なタイミングで応用していると言えるでしょう。つまり、学修者の学修への準備状況に応じてカリキュラムが順序立てられているのです。
ハーバード大学医学部の副医学部長(教育担当)の E.M. Hundert 教授は、この新しいカリキュラムによって学生が Bloom の教育目標分類(図 8-2)のより高いレベルに到達することを期待する、と述べいます。水平統合と垂直統合によって学生は自己決定学修への意欲が高まり、しかも深い知識を得ることができるようにカリキュラムが構成されていますので、Bloom の教育目標分類の高次思考力を獲得する学生が多数育成されるものと考えられます。高次の中でも最も高い創造のレベルまで到達する学生が多数出ることも想像に難くないと思います。

図 8-2 Bloom の 教育目標分類 1964 年

<日本の場合>

1. 日米卒前医学教育の比較

米国の医学部は 4 年制のカレッジを卒業した人たちが入学するので、大学院としての位置づけであるのに対して、わが国の場合は高校卒業後 6 年間医学部で学びます。1960 年頃は 2 年間の教養教育の後に 4 年間の医学教育が行われていました。しかし、医学の発展とともに学習項目が増加したので教養科目を削って 1 年次から基礎医学を学ぶ大学がほとんどになっています。したがって、事実上は 5 年間以上医学教育をしていることになります。
ハーバード大学医学部の最新の医学教育は、これまで述べてきたように、4 年後の卒業時にはスーパーバイザーの下で診療ができるように教育されています(表 6-1: 再掲)。以下にハーバード大学の先進的卒前医学教育の特徴を列挙します。

  • 成人教育学理論に則って、講義時間を最小限にして CBCL-チュートリアル方式で、小グループによる能動的な自己決定学習(self-directed learning)を重視しています。その結果、学修した知識が生きた知識として長く記憶されます(図 6-2 Dale の学習経験モデル)。

  • 基礎医学と社会科学とを水平統合してコアとなる知識を学修し、基礎医学、社会科学、臨床医学、および診療参加型臨床実習を垂直統合して、それぞれを関連付けて、しかも講義ではなく自己決定学修および臨床実習で主に体験型学修を行っているので、深い知識を獲得でき、また臨床技能も確実に獲得することができています。したがって、卒業時点でスーパーバイザーの下での診療を行うことができるようになるのです。
    そして、学修した知識が長く残るとともに、Bloom の教育目標分類(図 8-2)の高次思考力を獲得できるほどに成長します。

  • 生物医学以外に行動科学、医療倫理、プロフェッショナリズムを単なる講義ではなく能動学習するので、全人的医療を行えるようになり、また医師としての心構えを持ち、倫理観のある職業人に成長します。

  • 診療参加型臨床実習では、1 年目に必須の診療科で長期間スーパーバイザーの下で患者の受け持ちとなって実習を経験し、2 年目は上級診療科で選択性の 1 ヵ月間ごとの実習を経験するので、卒業時にはスーパーバイザーがいれば医師としての診療ができるまでに成長します。

表 6-1 世界標準の医学教育 VS 日本の医学教育(再掲)

日本の場合は、日本医学教育評価機構から認定証をもらった 82 大学中 63 大学(2022 年 6 月 1 日現在)を調べてみても、表 6-1(再掲)に示すように、

  • 基礎医学、社会科学および臨床医学は、学科ごとに講義が行われ、学生は受動的に学習します。大半の大学で水平統合がなされていないので、膨大な医学知識を関連付けて学習することができず、効率よく知識を獲得していくことが難しい状況にあります。Case based learning(事例立立脚型学修)方式の教育を取り入れている大学は徐々に増加してきていますが、未だ欧米のような事例立脚型の能動的学修ではなく、講義による教育を補完する程度の大学が多数を占めているようです。

  • 医師としての心構えや医療倫理、プロフェッショナリズムの教育は、多くの大学で「医学概論」として短時間講義が行われる大学が大半を占めており、学生が深く理解して身につけることは困難であると言えましょう。そして、更なる問題は 臨床実習に行くと hidden curriculum(隠れたカリキュラム)が存在していて、病棟での指導医などの行動や発言はプロフェッショナリズムの考え方を踏襲していないことが多いため、学生はプロフェッショナリズムを身に付けることが困難になっています。

  • 医療面接、身体診察、臨床推論、プレゼンテーション(症例提示)、コミニュケーションなどの基本的臨床技能の教育が米国ほど十分に行われている大学は非常に少ないので、多くの学生は臨床実習で医療面接、身体診察、臨床推論、プレゼンテーションが不十分にしかできません。

  • 診療参加型臨床実習は欧米のようにスーパーバイザーの下で、実際の患者を受け持って診療の一端を担うことはほとんどの大学で行われずに、見学型ないし模擬診療型で終始しています。たとえ診療参加型臨床実習が行われたとしても、内科などの必須診療科での実習期間が 2 週間ごとに分断されて短か過ぎるので、診療の一端を担うほどの on-the-job training(診療現場での教育)を受けることは困難です。なぜなら、内科を 3 カ月間ローテーションしてもほとんどの大学で病院医療科: hospital medicine(総合内科)や一般外科などの科がないので、臓器別専門科、例えば、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科などの診療科を 2 週間ずつローテーションせざるをえない状況にあるからです。
    これでは診療科各科をローテーションして、その科の医学知識を身に付けることぐらいしかできないと思われます。つまり、多くの学生は Bloom の教育目標分類(図 8-2)の理解のレベルにしか到達できないでしょう。 米国の診療参加型臨床実習だと、応用力、分析力、評価力などの高次思考力を獲得できます。

  • 医師国家試験は、2018 年から 400 問に減数されたものの、知識を問う問題が多く、米国のように連問形式で臨床問題解決能力を問う問題は少ないと言わざるを得ません。この原因は CBT(computer-based testing)方式を採用していないからです。また、米国は、卒業時点でスーパーバイザーの下で診療ができるほどに仕上がっているかを審査するので、知識、問題解決力のみならず、表 8-1 に示すように、訓練された標準模擬患者を相手に実際の診療ができて臨床推論をして治療計画を立てることができるかを問う実技試験(USMLE Step2 CS)が行われます。わが国ではこの実技試験は国家試験としてではなく、医療系大学間共用試験として 2020 年から各大学で実施することが義務付けられました。しかし、その課題数は 2022 年時点でもわずか数課題であり、その程度では真の診療参加型臨床実習を経験して臨床能力を獲得したかを評価できないと考えられます。

わが国では、以上に述べたような卒前医学教育と国家試験を行っているので、多くの医学生はBloom の教育目標分類でいう応用力、分析力、評価力が乏しい状態で卒業していると考えられます。筆者は種々の大学を出た初期研修医の地域医療研修や家庭医療の専攻医を指導していますが、医療面接、身体診察や臨床推論が十分にはできない、そして、応用力、分析力や評価力が非常に不足している医師が多いことを肌で感じています。

2. 日本医学教育評価機構の認証事業が開始されてから医学教育改革は進んでいるのか

日本の医学教育については、米国オレゴン健康科学大学副医学部長(教育担当)のゴードン・ノエル教授は、「“ガラパゴス的進化”を遂げている」と表現し、世界の医学教育先進国の医学教育の進化から取り残されていることを指摘されました。事実、米国から約 50 年間は遅れていると考えられます。
そこで、世界医学教育連盟(WFME)から 2017 年 3 月に認められた日本医学教育認証機構が、世界標準の医学教育に合致しているかを評価しています。2022 年 6 月 1 日現在 82 大学中 63 大学が認定証を受領しています。その中には世界標準に追いつくために涙ぐましい努力をしている大学もありますが、形を整えつつあるものの中身はあまり進化していない大学もあります。
また 2017 年 4 月 1 日から 2021 年 3 月 31 日まで認定された大学のなかで、2020 年に 2 巡目の審査を受けて認定期間を 2021 年 4 月 1 日から 2023 年 3 月 31 日まで延長された大学がありますが、4 年間で大きく改善されたわけではありません。やはり以下に述べる問題を持っています。

  • 基礎医学、社会科学、臨床医学をブロック化(水平統合)し、コアとなる医学知識を関連付けて、しかも小グループによる能動学修方式(PBL チュートリアルなど)で効率よくコアとなる医科学を深いレベルまで学修する仕組み作りが進みにくい

  • 基本的臨床技能の教育が少しずつ充実してきているがまだまだ不足している

  • 医療倫理、行動科学、社会科学、およびプロフェッショナリズムの教育は、講義形式から小グープ学修方式への変更があまりできていない

  • 診療参加型臨床実習は、見学型または模擬診療型がほとんどで、世界標準の診療参加型として学生に一定の役割を持たせて実習し、卒業時にはスーパーバイザーの下で医師としての役割を果たせるほどに鍛えることができていない

3. 日本の卒前医学教育改革が思うように進まないのは何故か

わが国の 82 大学医学部・医科大学が医学教育改革をしようとしても、それを阻む要因がいろいろあります。したがって、それらの阻害要因を取り除くことが肝要ですが、そのためには現在のように大学の自助努力に期待するのみでは限界があります。自助努力を助成したり規制したりする政策を文部科学省や厚労省が積極的に打ち出していかない限り、わが国の医学教育はガラパゴス島から抜け出すことは不可能であると言わざるを得ません。米国は勿論、英国、ドイツやフランスも政府が積極的に規制と助成をしたからこそ改革が進んだのです。
米国の規制と助成を参考にして、わが国に必要なことを以下に述べてみたいと思います。

1) 医師国家試験を改革することが喫緊の課題
(1) 医師国家試験問題数を減らして、コアとなる医学知識と問題解決能力を問う試験にするべき

「人はどう評価されるかによって学習行動を変える」と言われています。現行のわが国の医師国家試験は、幅広い医学知識を持っていれば合格できる仕組みになっています。したがって、ペーパーテストであり 2018 年からは 400 問に減数されています。しかし、米国の医師国家試験はコアとなる医学知識を持ち、それらを駆使して応用し、分析して評価する力、つまり、臨床問題解決能力を問う仕組みになっています。そのために表 8-1 の USMLE Step2 CK に示すようにCBT (computer-based testing)を約 320 問出題し、しかも、2〜5 問の連問形式で問題解決能力を問う問題が出題されます。わが国と比べていかにコアとなる領域が絞られ、そして問題解決能力の有無を測ることが重視されているのが分かります。
米国では、新しい知識の膨大な増加のために、医学部およびレジデンシー・プログラムは“全てを学ぶ”ことから“学び方を学ぶ”ことに教育方針を転換しました。つまり、1 つの病気についてきちんと学ぶ方法を知っていれば、これから先に何百例という新しい問題に直面したとしても、その手法を応用して正しく学ぶことができると考えたのです。また、コアとなる疾患を学ぶことに集中し、稀な疾患についてはを実際に診てそれを学ぶ必要が生じてくるより前に、その疾患についての学修や論文を勉強させることが少なくなっています。そのために、米国では基礎医学、社会科学、臨床医学を水平統合して、Case based learning(事例立脚型学修)方式で小グループ討論などを用いて能動的に学修する仕組みが導入しやすくなっているのです。
わが国でも、国家試験に CBT 方式を採用して、コアとなる領域の知識や問題解決能力を問う問題に絞って出題する方式に大変換しないと、医学教育改革は進まないでしょう。

(2) 米国で行われている臨床実技の試験(USMLE Step2 CS)と同様な試験を導入するべき

米国では標準模擬患者に対して、医療面接・身体診察を行って、臨床推論をしたり、マネジメント計画を立てたり、する試験を 12 ステーション(12 課題)で行っています。
わが国では、2020 年から共用試験として臨床実習が終了した時点で Post-CC OSCE(臨床実習修了後 OSCE)を行うことが必須になりましたが、ステーション数が少なく、卒業時の臨床能力を評価するには不十分だと言わざるを得ません。また、自分の大学中心の教員で評価するので厳格な評価が行われる保証はないと思われます。
このように、わが国では国家試験としての厳格な臨床能力試験がないので、教員は講義形式で広い範囲をカバーして講義するほうが合格率が高くなると考えがちなのです。その考えの延長線上で、6年生の最後の時期に 6〜9 カ月間の国家試験対策のための学修期間を設けているのが実情です。第三者による厳格な臨床能力試験を国家試験として導入すれば、わが国には日本医学教育学会認定医学教育専門家が多数いるので、もっと早く医学教育先進国の教育レベルに追いつくことができるでしょう。そして、診療参加型臨床実習を米国のように改革する大学が増加するものと思われます。

2) 医学教育センターを設立して、医学教育学の素養を持つ臨床系教員を 3〜4 名専任として雇用することが肝要
図 6-4 医学部長の下に医学教育部門を位置付ける(再掲)

わが国では、臨床系教員は臨床、研究と教育を全て上手に行う必要があると考えられてきました。50〜60 年前ならいざ知らず、最近の医学の進歩には目覚ましいものがあり、3、4 年ごとに診療ガイドラインが書き換えられます。また、研究も非常に高度に進化していますので、臨床と研究の両方をこなすことはほぼ不可能になっています。そんなことをしていたら世界に通用する研究成果を上げることはできないでしょうし、最先端の医療を全国に普及させることも困難になるでしょう。また、医学教育学も非常に高いレベルまで発展していますので、医学教育改革を行うには医学教育の専門家が必要な時代になっているのです。
米国で医学教育改革を急速に進めることができたのは、以下に述べる要件が整ったからです。

  • 米国では 1980 年代から NIH を通して医学研究の予算が研究室に注がれました。90 年代は、有力な大学や研究グループは個々の疾患の治療に関心を持つようになり、米国議会は NIH の予算の額を 10 年間で倍にする法案を通過させました。その結果、医学校への研究費が驚くほど増加したので、医学校の教員数を増加させることができました。しかし、MD(医学士)の教授には臨床の責任があり PhD(理学士)の教授よりも大きな責任を負っています。研究費の増額に伴ってその獲得競争が激しくなった結果、MD の教授の教育と臨床活動を制限せざるをえなくなり、2,000 年頃から医学校では、臨床と教育専任の教授(professor, associate professor, assistant professor)と、主として研究に従事する教授に分かれるようになりました。この結果、臨床と教育専任の教授は教育に時間を割き易くなったのです。

  • 米国の大学医学校は、LCME(Liaison Committee on Medical Education)から 3 年ごとの視察を受けて認定更新を受けなければならないので、医学教育部門を設立しました。組織的には多くの大学で図 6-4(再掲)のように教育担当副医学部長として医学部長室の下に位置づけて権限を持たせています。そして、教育評価やカリキュラム作成などの訓練を受け、医学教育学の素養を持つ臨床専任の教授を主として他大学から、一般的には合計 3、4 名専任として雇用しています。

医学教育部門は以下に示す様々な役割を果たしています。

  • a.

    カリキュラム開発、

  • b.

    カリキュラム管理

  • c.

    教育評価(学生の評価、教科全体の評価、教官の評価)

  • d.

    Faculty development(教員の教育能力開発)ワークショップを開催する「人は教えられたようにしか教育することができない」と言われるとおり、新しい教育法を導入する場合は、教員の教育能力を開発する必要があります。

  • e.

    Skills Lab(シミュレーターを用いた臨床技能訓練センター)を中心とした基本的臨床技能の教育基本的臨床技能を教えるには、講義を交えて実技の教育を学生同士で行わせます。その次に標準模擬患者(SP)に対して、あるいは心音聴取や縫合などの診療手技などはシミュレーションを用いて実習します。そして、最後に実際の患者を相手に臨床技能や手技を行うのが原則です。

など。
最近、わが国でも多くの大学で医学教育センターが設立されていますが、自校出身の教員を兼任で採用している大学が目立ちます。自分の大学の教育法しか知らない人よりも、他大学から医学教育学の素養を持つ臨床系教員を専任で採用するほうが、米国のように効果的かつ効率的な改革を成し遂げることができると考えられます。

3) 大学医学部のミッション(使命・目的)を見直すことが喫緊の課題
(1) 米国の医学部と日本の医学部のミッション比較

世界医学教育認証機構は、大学医学部のミッション(使命・目的)を示さなければならないと記載し、そのミッションを果たすことのできる医師を育成することを要求しています。医学教育学においても、現在は Outcome-based Education(アウトカム基盤型教育)の時代です。図 8-3 に示すように、まずどのような医師を育成するか(outcome)を明確にし、それに沿って何を学ぶべきか、そして、そのための学修法はどうあるべきかを考えてカリキュラムを立案します。さらに、教育環境を整え、学生の能動的学修をサポートします。また、学生の成長を促すような適切な評価法を導入することが重要です。

図 8-3 アウトカム基盤型教育

米国の Best Medical School ランキング(研究)で常に第 1、2 位にランクされるハーバード大学医学部、ジョンス・ホプキンス大学医学部の例をコラム 8-4 に示します。
ハーバード大学は「全ての人の苦しみが軽減され、健康と福祉の改善された多様で包括的なコミュニティーを育む」ことを使命と考え、それを実現するために 教育、研究と医療サービスを卓越したレベルに引き上げる、と謳っています。一方、ジョンス・ホプキンス大学も「地域社会と世界の健康を改善すること」が使命であるとし、その実現のために、医学教育、研究、臨床ケアの基準を設定する、としています。 他に、カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部のミッションも調べましたが、使命はやはり「地域社会の健康を改善し、患者の病気や病気による苦痛を軽減する学修者を教育する」ことと述べています。米国の大学医学部は、「地域社会と世界の健康を改善すること」をミッションと考えるのは常識となっているようです。

<コラム 8-4>

では、日本の大学医学部のミッションはどう提示されているのでしょうか。日本医学教育評価機構に認証された大学 63 校のうちの国立大学、私立大学のミッションをいろいろ調べてみましたが、ほぼ共通している点は、「生命科学・医学・医療の分野の発展に寄与し、国際的指導者になる人材を育成する」ことが使命であり、そのような人材を育成すれば地域社会と世界の医療・福祉が改善される、としています。また、中には「患者中心の医療の担い手として、リサーチマインドと国際的視野を有する人間性豊かな良き臨床医の育成をすること」などのように、単にリサーチマインドを持つ良き臨床医を育成することを使命に掲げている大学もあります。コミュニティーの医療ニーズに対する考えが示されていません。大学中心のミッションです。

(2) 米国と日本の大学医学部のミッションが異なるのは何故か

米国の医学部のミッションは、「地域社会と世界の健康を改善することが使命」と考えていますが、わが国の医学部は、「生命科学・医学・医療の分野の発展に寄与し、国際的指導者になる人材を育成するのが使命」と考え、そうすれば自ずと地域社会や世界の医療は改善されるであろう、と考えているようです。つまり、アウトカム基盤型教育の理論を当てはめてみますと、米国は「地域社会と世界の健康を改善することのできる医師の育成」がアウトカム(教育成果)であり、そのためにはどのような学修内容が必要であり、どのような学修方法が適切であるかを考えてカリキュラムを立案します。そして、教育環境を整え評価します。一方、わが国は「生命科学・医学・医療の分野の発展に寄与し、国際的指導者になる人材の育成」がアウトカムであり、そのためにはどのような学修内容が必要であり、どのような学修方法が適切であるかを考えてカリキュラムを立案します。そして、教育環境を整え評価します。
両国の違いは、「地域社会や世界の医療の改善」を使命と考えるか、それとも「生命科学・医学・医療の分野の発展に寄与し、国際的指導者になる人材を育成する」を使命と考えるかの違いだと思います。米国の方が地域社会や世界の医療ニーズを第一義的な使命と考えていると言えるでしょう。したがって、世の中や地域社会の医療ニーズの変化に敏感なのだと考えられます。
では、米国はなぜ地域社会や世界の医療の改善を強く意識しているのでしょうか。それは米国の医学教育改革の歴史を紐解けば見えてきます。
米国の大学医学部は、1910 年〜1940 年にかけて内科から神経内科と皮膚科が、さらに神経内科から精神科が誕生し専門分化が進行しました。そして、1942 年に設立された LCME(Liason Committee on Medical Education)による視察を 3 年毎に受けて、医学教育の基準に合致していることを認証されなければならなくなり、医学教育改革が急速に進んで臓器別専門医の育成が盛んに行われるようになりました。臓器別専門医を育成すれば医学の研究が進み、医療のレベルが高くなり、より良い医療が国民に提供されるようになったからです。しかし、農村地帯や低所得層のいる地域には臓器別専門医が定着しなかったので、それらの地域ではレベルの高い医療が提供されない状況が続きました。そこで、1970 年から 1980 年にかけて、政府は医学部の定員を 8,000 人から 16,000 人に増加させることにしました。それでも農村地帯や低所得層のいる地域には臓器別専門医は定着しませんでした。臓器別専門医を育成するのみでは地域全体の医療は良くならないことが明らかになったわけです。そうしなければバランスのとれた使命は果たせないと考えるに至ったのだと思われます。
そこで、政府は 1980 年代からは臓器別専門医はこれ以上要らないと考えて、その定員枠を制限し、同時に総合内科医、一般小児科医や家庭医などのプライマリ・ケア医を育てることにし、これらのプライマリ・ケア医の育成に多大な助成をしました。その結果、大学付属のメディカルセンターには総合内科、一般小児科、家庭医療科の部門が誕生しました。そして、地域の医療も安定化したのです。
これらの事情を反映して大学医学部のミッションは、「地域や世界の医療を改善すること」になっているのです。(家庭医療科は大学病院の外来で育成することは不可能なので、地域社会の中に家庭医療センターを設立して、そこで教育を行っています。)
わが国では、第一内科、第二内科などの時代を経て 1970 年頃から各大学で臓器別専門医の育成システムが確立されるようになってきました。現在は、臓器別専門医を多数育成しさえすれば小都市や農村地域でも医療は良くなる、プライマリ・ケアも臓器別専門医が開業してうまくやっているではないか、という考えが蔓延っています。このような状況を反映して、わが国では「生命科学・医学・医療の分野の発展に寄与し、国際的指導者になる人材の育成」が使命と考えられているのでしょう。
しかし、2005 年頃からは小都市や農村地域での医師不足が顕在化し、「地域医療崩壊」が叫ばれるようになりました。実際に小都市にある多くの中小の病院はその機能を十分には発揮できない状態に陥り、閉院を余儀なくされた病院もありました。
そこで、政府は医学部の定員を 8,000 人から 9,000 人強に増加させました。しかし、中小病院の医師不足はますます深刻となり、未だに好転していません。政府は初期研修医制度や専門医制度によって、地域の中小病院に医師を派遣しようとしていますが、研修中の医師のモチベーションを低下させるのみで、地域の医療レベルは向上していません。地域の医療を良くしたいと考えるならば、米国のように大学病院や大病院に総合内科専門医(病院医療専門医)、一般小児科専門医、家庭医療専門医を多数育成する仕組みを作り、財政支援をするのが早道だと考えられます。
新型コロナウィルス感染症のパンデミックで医療崩壊を起こし、世界でもトップレベルの超少子高齢人口減少社会を迎えているわが国こそ、大学医学部のミッションを「地域社会と世界の医療を改善する」に変更して、医学教育改革を断行することが焦眉の急を要する問題だと言えましょう。ミッションをそのように書き換えれば、コロナウィルス感染症のパンデミックの時代、超少子高齢社会においては臓器別専門医をこれ以上育成するよりは、レベルの高いプライマリ・ケア担当医を多数育成することのほうが社会の医療ニーズに応える早道だと理解が進むことでしょう。

4) 大学医学部の臨床系教授は、臨床と教育専任の教授(准教授、助教を含む)と、主として研究に従事する教授(準教授、助教を含む)に分けることが肝要

米国において大学付属病院での卒前医学教育と卒後臨床研修を進化させることができた理由は、2000 年頃から臨床系教授は臨床と教育専任の教授(associate Professor、assistant Professorを含む)と、主として研究に従事する教授(associate Professor、assistant Professor を含む)に分けたからです。そうすることで、今日の高度に発展した医療をさらに進化させ、卒前医学教育改革を推進し、卒後臨床研修を高いレベルに押し上げ、そして、世界トップレベルの研究を生み出し続けているのです。それを可能にしたのは、米国政府が NIH からの研究費の予算を 10 年間で倍増する法案を通過させたからです。
わが国では、昔から大学医学部の臨床系教員は医療、研究、教育の 3 つを上手にこなさなければならないと考えられてきました。医療が今日ほど進歩していなかった 50〜60 年前は、この考えが通用したかもしれません。しかし、医学研究が急速に進歩して医療のレベルも非常に高度に進化し、医学教育学も長足の進歩を遂げた現代では、1 つの領域に専念しなければその領域を極めることは困難になっています。また、臨床での進歩はめざましく、3〜4 年ごとに診療ガイドラインが改訂され、そして、精度の高い診断治療機器の開発や高度の診断治療技能の開発が進み、スーパースペシャリスト(超専門医)の存在が不可欠な時代に突入しています。
わが国の大学医学部は、そのような世界の進歩に追いついているのでしょうか。答えはノーと言わざるを得ません。研究は徐々に衰退しつつあり、世界の進歩から取り残されつつあります。この状況に危機感を抱いた政府は、2017 年から「指定国立大学法人」を指定し、2022 年現在 10 校が指定されています。国立大学については、この中から「世界と伍する研究大学(国際卓越研究大学)」が選ばれる可能性が高いと見られています。しかし、大学医学部は、これまでも研究成果のみで評価されてきたので研究に力を入れなければならず、臨床と教育は二の次にならざるをえませんでした。その結果、今日の医学教育の遅れと、卒後臨床研修の歪みやスーパースペシャリストの育成の遅れを招いているのです。今後さらに研究成果を高く評価する指定国立大学法人や国際卓越研究大学の仕組みが構築されると、研究指向に拍車がかかり、ますます医学教育改革は形骸化してしまう危険性があり、また、卒後臨床研修の充実やスーパースペシャリストの育成は後退してしまうことが危惧されます。オレゴン健康科学大学のノエル教授が指摘したように、「国立大学医学部においては、ほとんどの教官は一義的に臨床家でも教育者でもない。そのために学生のロールモデルとして臨床家に劣ってしまう。」ことが進行し、フロリダ大学のジェラルド・シュタイン教授が喝破したように、「日本の医学部は、医学部というよりも Medical Research Institute(医学研究所)に近い。」ことがさらに促進されることでしょう。
大学医学部には、本来その地域社会の臨床、教育および研究の一大拠点となり、地域社会の人々の健康を守るために医療レベルを向上させ、そのために優れた教育を施し、医療の発展のための研究を行う使命があるはずです。しかしながら、わが国の大学医学部は研究に重点が置かれ過ぎていて、世界の先進国のように優れた教育を行って、その時代の地域社会に必要な優秀な臨床医を育成することが充分には果たされていないとしか言いようがありません。この状況を改善するには、以下の改革が必要であると考えられます。

  • 臨床と教育専任の教授と、主として研究に従事する教授に分けることが肝要です

  • 臨床系教授を大幅に増員することが必要です。例えば内科でいえば、総合内科(近年は、病院医療科-hospital medicine)、循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、腎臓内科、神経内科、血液・腫瘍内科、膠原病・リウマチ科、内分泌・糖尿病科、感染症科など、最低でも 10 人は必要ですが、国立大学では旧帝大や旧制医科大学は別として、旧制医学専門学校や新設医科大学は従来の第一内科、第二内科、第三内科の弊害が残っており、多くても 4 人の教授程度であり、昔のように一人の教授が未だに 2〜3 科の教授を兼任し、実質的には准教授や講師が科長になっているのが実情です。そのために膠原病・リウマチ科や感染症科などの専門家(subspecialist)のいない大学もあります。外科についても同様のことが言え、教授の数が少な過ぎるので腹腔鏡手術、特に、ダヴィンチによる手術ができる外科医などのスーパースペシャリストの育成が遅れています。
    大学病院は、各サブスペシャルティーに少なくとも 1 人以上の臨床と教育専任の教授を配置して地域社会に最高の医療を提供し、そのための人材育成の拠点になるべきではないでしょうか。

5) 大学病院は地域社会における医療の最後の砦であり、医師養成教育の拠点病院であるべき

米国では、大学医学部の附属病院はメディカルセンターと呼ばれ、地域社会における医療の最後の砦であり、医師養成教育の拠点病院であるべきだと考えられています。したがって、三次医療のみならず二次医療も担い最先端医療も行っています。そして、救急医療も二次救急および三次救急医療を行って地域住民に対して安全・安心の医療を提供しています。そうすることによって二次以上のすべての医療に関わることができ、幅広くレベルの高い卒前医学教育および卒後臨床研修の場を提供しているのです。
そのために、コアとなる専門科として、病院医療専門科(hospital medicine)、一般小児科(最近は、pediatric hospital medicine)、家庭医療科、一般外科、産婦人科、精神科、神経内科、放射線科を配置し、それ以外に、それぞれの科のサブスペシャルティー(専門科)として、内科では循環器内科、呼吸器内科、腎臓内科、消化器内科、血液・腫瘍内科、糖尿病・内分泌内科、膠原病・リウマチ科、感染症内科、などがあり、それぞれに教授が配置されています。外科では、心臓外科、血管外科、脳神経外科、消化管外科、肝担膵外科、内分泌外科、などを配置しています。精神科領域では、児童青年精神科、児童精神科、救急精神科、リエゾン精神科、中毒精神科、高度な成人精神科、などがあり、それぞれに教授がいます。循環器内科の中でも、不整脈、特にカテーテル・アブレーション治療の専門、CCU の専門、他のカテーテル治療専門など、スーパースペシャリストが超高度の医療を提供する傾向が強くなっています。
以上述べたような米国の状況と比較すると、わが国の大学医学部附属病院は以下の問題を持っています。

(1) 超高齢社会において不可欠であり、卒前医学教育や卒後臨床研修においても重要な役割を果たす、病院医療専門科(hospital medicine)、および家庭医療科がない

この 2 つの科は、基本的臨床技能を教え、医療の基本や行動科学、全人的医療、プロフェッショナリズムなどを教育するのに欠かせない部門です。病院医療専門科は単に内科の専門科を寄せ集めただけではなく、ICU ケアもでき、全人的医療などを実践の場で教育するのに不可欠です(表8-4)。

表 8-4 病院医療専門医(hospitalist)のコアとなる臨床能力

家庭医療科は大学病院の中ではなくコミュニティーの中に拠点を置いて、プライマリ・ケア、かかりつけ医機能、全人的医療、患者中心の医療、在宅医療・在宅ホスピス、緩和ケア、医療倫理、プロフェッショナリズム、などを実践の場で教育する部門として必要欠くべからざる科です。米国のみならず世界の先進国は家庭医療専門医の育成に力を注いで来ました。また、病院医療専門医の育成は、カナダやオーストラリア以外に英国なども力を入れ始めています。わが国にはこの 2 つの科をもつ大学がほとんどないので、基本的臨床技能教育や診療参加型臨床実習を世界標準レベルにもっていくことができないのです。

(2) 大学医学部の附属病院は、現代の地域社会のニーズに応えるのに必要な、超専門医(スーパースペシャリスト)を十分には育成していない

米国の場合は、現代の地域社会のニーズに応えるのに必要な実に多彩な超専門家を育成しています。例えば、精神科の超専門医は、高度の成人精神科医、児童青年精神科医、児童精神科医、救急精神科医、リエゾン精神科医、など多岐に渡ります。ハーバード大学医学部では、2 年生の 10 月から 4 年生の間にかけて上級専門科として、これらの科を 4 週間選択実習することができます。そして、その時に素晴らしい超専門医に出会い、そのような医師になりたいと考える学生が出てきます。
わが国では、児童や思春期の精神疾患患者が増加しています。しかし、児童精神科医や児童青年精神科医の育成は非常に遅れていて、地域住民の人たちは十分満足のいく医療を受けられない事態に直面しています。また内科についても、国立大学で旧制医学専門学校や新設医大であったほとんどの大学において内科のすべての超専門科が揃っているわけではないので、地方の地域住民は都会の地域住民に比べて高度の医療を受けられる機会が少なくなることが危惧されます。
この原因は、臓器別専門医あるいは臓器別の超専門医でも、ある一定の研修を受けた後は自由に開業できる仕組みになっているからです。その結果、大学は種々の領域の臓器別専門医や超専門医を育成し続けて、関連病院に送り込まなければなりません。そのため、大学病院や関連の高度急性期病院で育成する仕組みを作ることができず、途中で中小病院に送らなければならないので、レベルの高い専門や超専門医を育成することが困難な状況に置かれています。
米国などのように大学病院や大病院で一定数のレベルの高い臓器別専門医や超専門医を育成する仕組みを構築するには、臓器別専門医が自由に開業してプライマリ・ケアを担当することができる仕組みを改めることが不可欠だと考えられます。米国では開業するには州ごとに試験が化されています。また、医療先進国では研修枠を適正化して、臓器別専門医や超専門医が、ジェネラリストである救急医療専門医、集中治療専門医、麻酔専門医、病院医療専門医や地域のジェネラリストである家庭医療専門医と密に連携して地域社会のニーズに応え得る医療提供体制を作り上げています。
わが国も米国や医療先進諸国のように、臓器別専門医の研修枠を適正化して、救急医療専門医、集中治療専門医、麻酔専門医、病院医療専門医や家庭医療専門医の育成に力を入れるように改革しなければ、適正な医療提供体制の構築が米国を始めとする医療先進国からますます大きな差をつけられるようになることが危惧されます。

(3) 適正数の専門医・超専門医が長期にわたって専門領域を極めるためには、業務内容に見合う報酬体系が必要

米国では、1960 年代に優秀な脳外科医のテレビドラマ「ベン・ケーシー」が流行し、その頃のニューヨーク州全体の脳外科医の数がロシア全体の脳外科医数より多くなりました。政府はその頃からプライマリ・ケア医の育成に力を入れると同時に、適正な数の臓器別専門医を育成するように方針を変更しました。政府がそのような規制に乗り出したので、今日のバランスのとれた臓器別専門医対プライマリ・ケア医の割合が実現できたのです。その結果、臓器別専門医は長期にわたって自分の専門領域を極めることができ、今日の世界一の医療レベルを築き上げているのだと思います。
わが国の場合は、病院勤務の臓器別専門医のうち多くの医師は十数年勤務した後は開業医師としてプライマリ・ケアに関わります。このため大学病院は臓器別専門医を養成し続けなければなりません。しかし、近年は初期研修医が大学病院にはあまり残らなくなった上、臓器別専門医の開業医志向が強くなっていることも手伝って、中小病院の臓器別専門医が不足しています。このような現象が起きる背景には、自由開業制であることと、給与のことが絡んでいる可能性があると考えられます。
米国では、脳外科医や胸部外科医の報酬はプライマリ・ケア医の約 2.5 倍、循環器内科専門医や麻酔科専門医は約 2.0 倍、集中治療専門医や救急医療専門医は約 1.5 倍と、プライマリ・ケア医の報酬は最も低くなっています。つまり、長期間の研修を受け、過酷な専門医試験にパスし、高度な医療を提供する医師は高収入を得ることができる仕組みになっているのです(図 6-2 再掲)。わが国の場合はこの逆で、プライマリ・ケア医が最も高い報酬を得ることができ、病院勤務の臓器別専門医は原則としてその施設の基準による一定額を一律に報酬として受け取ります。わが国でも研修の期間、超専門医の資格、日常業務の過酷さに応じた報酬体系に改革すれば、日常業務の過酷な集中治療専門医や救急医療専門医などを適正数確保することができ、より適切な医療提供体制が構築できるものと考えられます。

6) 大学医学部の評価は、研究の評価のみでなく医学教育の評価も行うべき

米国では毎年 Best Medical School(研究)と、Best Medical School(プライマリ・ケア)のランキングが公表されます。医学部受験生が最良の選択をできるようにするためです。プライマリ・ケアのランキングには以下の項目が含まれています。① 家庭医療科、一般小児科、病院医療科 (総合内科)の研修コースに入る割合、② 医学部入学試験(MCAT)の中央値、③ 医学部入学前の 4 年制大学の成績である GPA の中央値、④ 全 192(154+38)の医学部およびオステオパシー大学の学部長、または教育担当副学部長によるプライマリ・ケア教育に関する他大学評価(peer assessment)—5 段階の質的評価、などです。
家庭医療科、一般小児科、病院医療科(総合内科)は、基本的臨床技能教育、医療倫理、プロフェッショナリズム、診療参加型臨床実習など、を教育するコア科であり、一般外科、産婦人科、神経内科、放射線科とともに医療の基本を教育するために必要な診療科とされています。そして、家庭医療専門医、一般小児科専門医、および、病院医療科(総合内科)専門医は将来プライマリ・ケアを担当する医師と考えられています。これらの 3 科に進むレジデントの率を増加させるには、医学生のロールモデルになるようなレベルの高い医療を実践し、しかも、現代の医学教育学に則った、臨床研修へのモチベーションを高めるような、優れた臨床医教育をしなければなりません。その意味で医学教育評価の指標の重要な要素になり得ると考えられているのです。
わが国では大学医学部を評価するには、国による研究ランキングや入試合格者の入学前の偏差値、あるいは国家試験合格率が重視されています。特に評価の指標がないために、国家試験合格率が手っ取り早く用いられてきたのだと思います。しかし、国家試験合格率は世界医学教育連盟が定めた「医学教育の国際基準」に示された質の高い臨床医育成教育を行っているかとは相関はほぼありません。なぜなら、前の所でも述べたように、わが国の医師国家試験は、誤解を恐れずに言うならば、400 問に及ぶ広い範囲の知識を持っているかが問われる試験であり、米国のように卒業時点でスーパーバイザーの下で医師としての診療が出来るように育っているかを測る仕組みにはなっていないからです。逆に講義による詰め込み型教育をして、見学型の臨床実習を行って、6 年生の最後の 6〜9 カ月間は、臨床実習ではなく座学中心の国家試験準備期間に当てている大学が多く見られ、それらの大学が国家試験合格率の上位にランクされることがしばしば認められます。このような教育を受けて国家試験をクリアした多くの学生は、医学の基本的概念は理解しているけれども、Bloom の教育目標分類(図 8-2)でいう高次思考力(応用力、分析力や評価力)に乏しく、問題解決能力が身に付いていません。したがって、優れた臨床医養成教育を行っているかを測る指標にはなり得ません。
わが国においても、卒前医学教育の抜本的な改革を促すために、医学教育の評価システムを構築してランキングを公表するべきだと思います。そうすれば、わが国の医学教育改革も飛躍的な進歩を遂げるものと考えられます。

以上述べてきたように、わが国の医学教育・医療提供体制の 50 年の遅れを取り戻すには、数多くの障壁を乗り越えなければなりません。そのためには、各大学の自助努力に任せるのではなく、政府が規制と助成を行って、積極的に医学教育改革を支援しなければ世界の進化からさらに取り残されたままになることが危惧されます。このままでは新興ウイルス感染症のパンデミックに対しても、超少子高齢人口減少社会の医療ニーズに対しても、適切に対応できないことが予想されます。